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Bizarre 1/43 Aston Martin EMKA C2 LM-1983

14,080円(税1,280円)

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商品名:Aston Martin EMKA C2 LM-1983

スケール:1/43

1983年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1983 )は、51回目のル・マン24時間レースであり、1983年6月18日から6月19日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
暫定的なクラスがなくなり、グループBとグループCによるすっきりしたクラス分けになった。

サイズはグループCと同じだが燃料タンク容量55リットル、最低重量700kgのグループCジュニアがクラスとして新設された。
公式ポスターは前年優勝したポルシェ・956であった。

<予選>
ランチアはLC2のターボ過給圧を上げて出力を800PSとし予選で速さをアピールしポルシェをかく乱する作戦を取り、3分20秒79を記録したが、ポルシェもターボ過給圧を上げるとともに高グリップのタイヤを使用して対抗、前年タイムを13秒[3]も短縮する3分16秒56でポールポジションを取った。ランチアの記録は2位であった。

マツダ・717Cは空気抵抗低減を優先しすぎて直線でもコーナーでも安定性がなく、予選タイムは昨年を下回った。しかし初めて余裕を持って予選を通過し、後は決勝のセッティングを詰めることに専念した。

<決勝>
出走は51台。
他のグループC車両は全くポルシェ・956についていけず、トラブルを起こしては大きく遅れまたリタイアし、4時間目の時点ではポルシェ・956がトップ10を全て占めていた。

ワークスポルシェの1号車ジャッキー・イクスがプライベーターのポルシェにミュルサンヌコーナーで追突されて大きく後退したものの、ガス欠寸前まで給油しないで引っ張る凄まじい追い上げを展開し、4時間目の時点でプライベーターのポルシェ全て[2]を追いぬいて周回遅れながら3位に順位を上げ[2]、前年予選最高タイムとほぼ同じ3分29秒7[3]を記録して追い上げた。

<結果>
完走は20台。
ヴァーン・シュパン/ハーレイ・ヘイウッド/アル・ホルバート組[1][5]のポルシェ・956、3号車はゴール2時間前にドアが吹き飛び、エンジンが冷却不足となって過熱、最終ドライバーとなったアル・ホルバートは白煙を吐かせながらもだましだましゴールまで走らせ、24時間で5,047[1].934kmを平均速度210.330km/hで走って優勝した。ジャッキー・イクス/デレック・ベル組は同一周回内[2]の3.35km差まで詰め寄ったが2位に終わった。

結局ポルシェ・956はジョン・フィッツパトリックの11号車が燃料ポンプのトラブルで11時間目[2]に、ワークスの2号車がエンジントラブルで21時間目にリタイアしたのみに留まり、9位のザウバー・C7を除いてトップ10全てポルシェ・956が占めた。前年と違いポルシェ同士の競争でペースが上がり、プライベーター最高位となった3位のクレマーは前年の優勝車より走行距離で63km上回り、4位のヨーストも28km上回った。厳しい燃費規制の下で5,000kmを超え、しかもモトロニックは進歩途上であったことは、年ごとに進歩するポルシェの技術を明確にした。

マツダ・717Cは61号車がコース上の異物により右後輪をバーストさせ一時最下位となったものの、その他には何もトラブルを起こさず最終的に60号車総合12位クラス優勝、61号車総合18位クラス2位を得た。

Event:24 Heures du Mans Date::19.6.1983

Event:Circuit de la Sarthe,Le Mans (F),13.626Kms

Drivers: Tiff Needell (GB)/Steve O'Rourke (GB)/Nick Faure (GB)

Result: 17th (95 laps behind the winner)

Grid: 25th (3:42.230)


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